”広告”の本質とは。

 

 皆さんは普段目にする“広告“をどのように観ていますか?先日、私が所属している現代社会学会総会にて座談会を開催しました。座談会を開催するにあたり、私はお呼びする講師の方を決めることから当日運営等の準備を進めることになり、私自身が広告業に興味があるため同志社女子大学をご卒業され、電通に就職を決まら有れた方をお呼びしました。そこでのお話で改めて広告のあり方、広告のすばらしさと難点を再認識しました。

 

 私が広告業に興味を持ち、この道に進みたいと決めたのは実は今回お呼びしたOGの方のお話を伺ったことがきっかけでした。お話や言葉遣いがとてもきれい、ということもあったのですが、それ以上に広告の本質を知ったことにありました。“広告は、映画や絵画と違って無料で見ることができる。だからこそ、見たくない人の目にもとびこんでしまう。予告もなく。でも、だからこそ、つらい人の気持ちをふと明るく元気付けることもある。広告は弱い人の味方だ。”この言葉が私にとって一番印象的で、広告の本質だと思わされました。もともと何か、自分の頭の中で考えていることを可視化したい、というのがほとんど趣味になっている私にとってぼやっと考えていた広告業。この考えが、先ほどの言葉で、“アイディアの可視化がゴールではなく、一つ一つのことに意味付けをして、誰かの心をいい方へ動かすことがゴールだ。”と去年、今更ながらに気づかされたのでした。

 

 しかし、もちろん、広告作成側と広告の作成依頼する側では認識のずれがあると思います。現在、長期のインターンにてよく感じることなのですが、作成側と依頼側の”いい広告“の認識の違いにて広告のあり方の難しさを感じます。広告には”ブランド広告”と“レスポンス広告”があります。前者ではユーザーにいい印象を与えることが本質にあるため人々の心に刺さる広告の作成になりますが、後者ではいかに購入につなげるか、が本質にあるため一概に広告は弱い人の味方である、と言えないことがあると感じました。

 

 去年感じた広告の本質、憧れを先日の現代社会学会総会の座談会で再度実感しました。また、長期インターンにていかに“成果”がでる広告を作れるかにすごく注力していたのですが、自分が努めたい広告会社は本当にここでいいのか、と考え直す機会にもなりました。皆さんは広告を普段どのように観ていますか?私は誰かを前に向かせるものだと捉えてみています。

 

🍣稲荷でした🍣