何を選ぶかによって変わってくるよね、という話。

こんにちは。
もうすぐ1月も終わってしまいますね。
やり残した事が沢山あるので、それらを引きずったまま2月を迎えることになりそうです。

今回は、何故、幸福感について書こうと思います。
卒論で書いていく際に、こんがらがってしまいそうなので。

私は、幸福の才能というのを信じています。これは、自分の求める幸福を手に入れられるかどうかは、資格の有無ではなく、才能である、という話です。偏差値の高い大学に入ることが幸せな人がいるとして、その人がそこに入れなかった場合、それは幸せになる資格がなかったのではなく、「偏差値の高い大学に入る」という幸せの状態を手に入れるだけの才能がなかった、ということです。
幸せの資格がなかったのであれば、その資格をとる事ができるまでの努力が足りなかったのだと、過去を後悔することに繋がります。しかし、幸福の才能がなかったのであれば、それは才能という努力しても変える事ができないものなので、後悔に繋がりません。
だから私は、幸福の才能というのを信じていて、幸福に関しての卒論を書きたいなと思いました。

幸福感、幸福度、幸福指数−−−。
調べてみると、幸福の度合いについて指し示す単語が沢山出てきます。
この中で幸福感を選んだ理由は幸福は感じるものだから、という理由ででしたが、幸福度に変えてもよかったかもしれないと思いました。あくまで、幸福を感じる事ではなく、感じる幸福がどのくらいの大きさなのか、を知りたいので。変えます。
幸福度といえば、2005年にある発展途上国の国民97%が自分は幸せであるという回答をした事が、ニュースになりましたね。このことから、物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさからも幸福が得られる事が分かりました。私の卒論のテーマはこの二つだと精神的な豊かさからの幸福の方になりそうですね。うん、やっぱり「幸福度」に変えようと思います。

上記の調査とは別に、2012年から国連が始めた幸福度調査というものがあります。
これは、回答者が考える最低の人生を0、最高の人生を10とし、現在自分は何点かを答える、という方式を取っています。このものさしの尺度を、GDPや平均寿命など、様々な指標ごとに分解した数値を幸福度としています。
私は、ものさしでの尺度で幸福度を測ろうとしていましたが、様々な方向から回答者の幸福を分解する事で、仕事から得られる幸福と、私生活から得られる幸福の間にどのくらいの差があるのかを調べる事ができるので、変更しようと思います。


【参考】
・早坂 信哉 http://www.yurakirari.com/column/article/2016-01.html
 私たちが毎日行なえることは、実は、”幸せ”への近道!?大規模調査による驚きの結果が明らかに

・シェアーズカフェ・オンライン 2019年04月18日 08:47
国連幸福度ランキングは、どう偏っているのか。 - 本田康博(証券アナリスト