中絶問題における女性の権利①

こんにちは、松本沙希です。

少し前に新型コロナウイルスによる外出自粛の影響で(主に10代の)妊娠相談の件数が増加しているというニュースを見かけ、中絶の倫理的問題について勉強しました。

すごく長くなったので3パートに分けます。今回は中絶に関する議論のまとめです。

 

 中絶の是非については今日でも議論されているわけですが、以下の2つの立場に分かれます。

①プロライフ・・・胎児の生存権を尊重して中絶を認めない立場

②プロチョイス・・・女性の権利を尊重して中絶を認める立場

ちなみにアメリカでは「プロライフープロチョイス論争」として国論を二分化する大論争となっているそうです。

 

 この議論では「胎児は人間か」「胎児を道徳的にどう位置付けるか」がポイントになります。

①プロライフの主張

田島(2006)によるとプロライフの人は「胎児はどの段階においても人格を持った完全な人間だから、存在の最初の瞬間から人間として尊重されるべき」だと考えているようです。

②プロチョイスの主張

奈良(2005)は妊娠の直接的な利害を受ける女性の観点から考えるべきだとし、胎児の道徳的地位や尊厳を女性との関係の濃淡に相対して決まると考えています。つまりレイプや避妊の失敗による妊娠などの女性と胎児の関係が希薄な場合には胎児には人体組織としての地位しか与えられておらず、中絶が道徳的に不当ではないという考え方です。

 

 私は②の奈良の考え方を支持しており、プロチョイスの立場です。

 

 しかし、これを勉強していて「倫理的に正当か不当か」が議論の中心となっていて、女性の精神的負荷を減らすための施策についての議論が不十分だと思いました。たとえ正当な中絶だったとしても、女性が精神的に負った大きな傷を無視してしまえば本当に女性の権利を尊重したとは言えないと思うのです…

 

そこで外国ではどんな取り組みをしているのかを調べてみたので、次回に続きます。

 


《参考》

田島靖則「生命主義とキリスト教:米国の中絶論争に学ぶ」『ルーテル学院研究紀要』第40号、2006年、pp.19-30

奈良雅俊「胎児の道徳的地位と尊厳の観点から見た人工妊娠中絶の道徳性」『医学哲学 医学論理』第23巻第0号、2005年、pp.157-161